こんにちは、ちえです。
先日ですね、ある出来事がきっかけで、「スピリチュアル」について、ひとつ深く考えさせられたことがありまして。
今日は、その体験から感じたことを、少しシェアしようと思います。
最近「スピリチュアル」という言葉を耳にする機会がとても増えましたよね。
スピリチュアルというと、宇宙、エネルギー、波動、魂、目覚め…というような言葉が連想されるのかな、と思います。
ブログを読んでくださっているみなさんもご存知の通り、わたし自身も、幼い頃から、魂や意識のことについてかれこれ40年ほど深く学んできた一人です。
でも、その出来事を通して、ひとつ改めて感じたことがありました。
それは、
「スピリチュアルな人」と「スピリチュアリティの高い人」は、必ずしも同じではない
ということです。
多分、ここ、あらゆる情報が散乱していて、みなさんも混乱されているんじゃないかと思うのですが、いかがでしょうか。
でもですね、明確に「違いがある」と、今回思ったのです。
これは良い悪いの話ではなくて、ただ少し質の違うものなのだと思います。
ここからは、わたしなりの考察を、残してみますね。
スピリチュアルな人とは
「スピリチュアルな人」というのは、宇宙やエネルギー、魂のことを知っていたり、そういう世界観で物事を語る人のことかもしれません。
それは、わたしたちの世界の見方を広げてくれる、とても面白くて豊かな視点でもありますよね。
とても興味深い世界です。
スピリチュアルな人は、そういうスピリチュアルな言葉をたくさん知っているので、話を聞くと、新しい世界に触れたような気がして、ワクワクしたりするかもしれませんね。
オーラなどが見えたりする人も、スピリチュアルな人と言えそうです。
スピリチュアリティの高い人とは
一方、わたしが感じる「スピリチュアリティの高さ」は、とても平穏で、地に足がついていて、実はとても人間的。
今回感じたことでもあるのですが、例えば誰かが自分の個人的な話をしてくれたとき、その人が差し出してくれているのは、ただの出来事の説明ではなくて、
「迷い」「痛み」「大切にしている価値観」「まだ言葉になっていない想い」そんなものだったりします。
誰かがそういうものを差し出してくれたとき、それをどう扱うか。
そこに、その人のスピリチュアリティが表れるのではないかなと私は感じるのです。
相手の言葉を、自分の知識や概念で解釈するのではなく、
「今この人の中で、何が起きているんだろう」
そんなふうに、そこから相手の魂の声にそっと耳を澄ませる。
それは、スピリチュアルな言葉を使って話すこととは、全く異なる行為。
スピリチュアリティの高い人というのは、存在そのもので人を照らしている気がするのです。
「聴く」という行為は、とても神聖なもの
わたしの仕事は、「聴く」ことができないと仕事にならないので、あえて「聴く」を取り上げたいと思うのですが、
わたしは、人の話を聴くときに、とても大事にしていることがあります。
それは、
誰かが自分の話をしてくれるとき、その人は「大切なもの」を差し出してくれている
ということです。
彼らが差し出してくれているものは、その人の人生の一部。
どれもとても、美しい。
クライアントにはよく伝えるのですが、わたしには、言葉を紡いでいるその人自身の魂が、とても美しく見えています。
「聴く」という行為は、ただのコミュニケーション技術ではなくて、相手への敬意の表れだと思うのです。
スピリチュアリティは、とても人間的なもの
スピリチュアリティというと、どこか高い次元の話のように感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、本当にスピリチュアルな在り方というのは、とても人間的で、とても平穏で、そしてとても深く愛を感じるものなのではないかなと思います。
宇宙の話をすることよりも、
波動の話をすることよりも、
目の前の人の言葉に、本当に耳を傾けること。
相手の世界を、自分の解釈で塗り替えないこと。
そして、人が差し出してくれたものを丁寧に扱うこと。
そうするとですね、目の前の人の魂の声が、静かに聴こえてくるのです。
その魂の声をもとに、クライアントに、問いを立てたり、声をかけたりすると、思わぬ突破口が見つかったり、未来の方向性が見えたり、悩んでいたことが実はチャンスだった、というようなことが起きるんですね。
もしかするとそれが、一番地味で、一番人間的で、そして一番スピリチュアルなことなのかもしれません。
わたし自身もまだまだ、学びの途中ですけどね。
みなさんの思う、「スピリチュアルな人」と「スピリチュアリティの高い人」はどんな人ですか?
それでは今日も、よい夜を😊
