欠点を指摘しても人は成長しない

 

先日、クライアントさんの娘さんが、念願の大学に合格しました。

娘さんは、お友達となかなかうまくいかず不登校だったので、勉強が遅れていることを心配しながらも、塾で毎日受験勉強を頑張っていました。

興味分野が「自然」や「薬草」「アロマ」だということで、その分野を学べる学部を選んで推薦入試で、見事合格。

浪人も覚悟でいたので、合格のご報告をいただいたときは本当に良かった!と心から思ったのですが、、

翌日、塾に行ったら、先生方から「大学に入ってからついていけないから、もっと勉強しないと」「このままじゃ、やばいですよ」「大学じゃ、こんな風に面倒見てくれる人は誰もいないから、もっと自立しないと」と、散々言われ、挙句に言われた「推薦入試で入る子は学力が低い」という言葉で、彼女はノックアウト。

憔悴しきって家に帰ってきたそうです。。

その後、クライアントさんに塾長さんから電話があり「みんなで相談して、大学入るまでに足りない学力をちゃんとつけて自立できるように、必要な科目をプラスしてやるように、娘さんに伝えておきました。大学入ったらもう私たちは今みたいに手取り足とり面倒見てあげられませんから」と。


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愛とは何か。


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わたしは、思うんです。


誰か一人でも、彼女の人生の背景を、ここまでの道のりを、心に留めて声をかけてあげたのだろうか、と。

 

誰か一人でも、「合格おめでとう!頑張った成果だね。これから大学でやりたいことたくさんできるね!ワクワクするね!」って声をかけてあげられたら。

誰か一人でも、彼女の「人生全体」を見て、今必要なことを考えてあげられたら。 

誰か一人でも、大人たちの考えだけで進めず「あなたはどうしたい?」って、聞いてあげられたら。


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なぜ世の中の大半の人は、自分の経験をあたかも全ての人が経験しているかのように語るのでしょうか。

なぜ世の中の大半の人は、自分の考えをあたかも世の中の指標のように語るのでしょうか。

 

あなたの考えは、70億分の1でしかない。

 

ましてや教育者であるならば、そのことを、肝に銘じてほしい。

 
本人の気持ちを聴き、本人が「自分で考える」ことのできる環境を作ることが「自立」を促すことであり、決して、恐れを掻き立てることではありません。

「考え」というのは全員違うもの。

そして、それぞれの「考え」は、尊重されるべきものなのだ、というこの当たり前の事実を、どうか、忘れないでほしいと思います。