「したいことをする」と「違うことをしない」は似て非なるもの

昨日は、ヒミツキチ森学園の母体となるPLAYFULを法人化した大切な日でした。

法人を立ち上げるにあたって、せっかくなら、知らないことを知ろうと、自分たちで一から調べました。

その途中で、知識を得る時間と費用とを天秤に乗せ「ここは専門家にお願いするところだな」とか、これ以上わからない!というところを、そのままにしないことの大切さと、専門家の凄さを、非常に学べた、とても良い経験になりました。

細かいチェックが大の苦手なわたしは、一字一句見逃さす修正指示をくださった公証役場の方や、税理士の方、登記申請のご担当の方に、ものすごい、尊敬と感謝を感じずにはいられず。

改めて「誰かの得意は誰かの苦手で、誰かの苦手は誰かの得意」なんだと。それぞれの得意が組み合わさって新しいものはできるんだと実感しました。

こういう経験は、本当にいい経験だと思う。

法人立ち上げで、上記のような、普段出会わない分野の方々と関わっていたタイミングで、最近、急加速で宇宙人化している友人に、よしもとばななの『違うことをしないこと』という本を勧められて、読んだんです。

今日は、そのお話を。

 

本の中には、たくさんの刻みたい言葉たちがありました。その中でも、今日お伝えしたいのは「したいことをする」と「違うことをしない」は、微妙に違う、ということ。

これ、わかるー!って思った人、いますか?わたしは、ブンブン頭を縦に振りまくってしまったくらい「わかるー!」って思いました。笑

最近は「したいことすればいいよ」とか「何がしたい?」とか、よく耳にするようになったと思いますが、これ、なんとなくしっくりきていなかった。(わたしもたくさん発信してたけど)

なぜなら、今まで「したいことしていいよ」って、言われて育ってないから。

「あれしちゃだめ」「これしちゃだめ」「みんなと一緒が良いこと」「お金は一生懸命労働して稼ぐもの」と教え込まれてきたのに、突然「したいことしていいよ」って言われても、はて、どうしたらいいの。。と、路頭に迷うよな、って。

でも「違うことをしない」というのは、自分の小さな心の動きや感情をも絶対に見逃さず、とことん敏感になる、ということなんですよね。

誰でも経験あると思いますが、友達が「パスタ食べたい」って言ったから、自分は和食の気分だけど、まいっかって、パスタ食べるとか。

仲良しグループで「どこ行く?」って話になって、多数決でディズニーランドになったけど、自分はシーに行きたかった、とか。

結婚したくなかったけど、世間的に、適齢期だって言われているからしてみた、とか。

上司に言われたらから、自分はそう思っていないけど、従わざるおえなかったとか。

なんとなく気乗りしないと思いながら、周りに従うことが、「違うこと」をするということだと思います。

小さな「違うこと」を積み重ねると、どんどん本来の自分からズレていって、気づいたら苦しくて、でもなんで苦しいんだろう><って。

理由がもうわからない。

その時には、すでに出口のわからない迷路の中なんですよね。

 

今「違う」と思いながらしていることがあったら、すぐにやめたほうがいいかもしれない。

「とはいえ」と続きたくなる気持ちは痛いほど、わかる。

それには、大体、お金か人間関係が絡んでいるから。

 

でも、思うんです。

「とはいえ」と言いながら、一定の生活水準は確保したいと思っていませんか?

「とはいえ」と言いながら、世間からの評価が気になっていませんか?

と。

 

本当にそれ、必要?

 

過去は記憶。

未来は想像。

未来を創るのは「今ここ」で選んだ行動の積み重ね。

 

さて、今日の夜ごはん、何食べますか?

わたしは、誰になんと言われても「うどん」を食べようと思っています。笑

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